道をたずねた。
老婆は答えた。
上さまに行けば山、
下さまに行けば海。

どちらに行けば極楽でしょう。
どちらさまも天国、
どちらさまも地獄。
世界はあんたの思ったとおりになる。

          藤原 新也 『メメント・モリ』

インドに行きたい、と思ったことがありました。10年近く前のことです。残念ながら宗教紛争による戒厳令が敷かれていたため、その時は行くことができませんでしたが、たぶん行かないほうが良かったのでしょう。「インドの現実を見る事は自分を見る事である」と、グラフィック・デザイナーの横尾忠則氏は言っていますが、自信に満ち溢れていた当時の私は、まだ本当の自分を知る準備ができていなかったし、知る必要もありませんでした。それでは、今ならばできているのかと問われれば、できてはいません、と答えるわけですが、それでもまた無性にインドに行きたいと思うのです。もし、自分を知ることができるのならば、自分から解放されて自由になれるのでないかと思うのです。

藤原新也は、1969年学生運動の最中、大学を中退して日本を離れて、インド、チベット、トルコ等、アジア各地を放浪した写真家で、旅行家、そして思想家でもあります。『メメント・モリ』(「死を想え」という意味のラテン語で、ペストが蔓延り、刹那的になった中世ヨーロッパで盛んに使われた言葉だそうです。)には、藤原氏の短いコメントが付けられた74枚のインドの風景写真が収められており、非常に生々しく鮮やかに死と生の様相が描かれています。藤原氏は言います。『本当の死が見えないと、本当の生も生きれない。等身大の実物の生活をするためには、等身大の実物の生死を感じる意識をたかめなくてはならない。死は生の水準器のようなもの。死は生のアリバイである。』

もしかして、私たち日本人は、「死」を疎み、恐れすぎているのかもしれません。死は誕生と同じく、生の一過程に過ぎないのです。