『さまよえる湖』。謎めいたタイトルに引かれてその本を手にとったのは高校生の頃でした。内容は全く知らずに読み始めた本でしたが、西域に憧れを持っていた私は、その面白さに引き込まれ、あっという間に読み終えてしまったのを覚えています。これは、スウェーデンの探検家、スウェン・ヘディンが長年の夢であったロプノール(ロプ湖)の地理学上の謎を解いていった、稀有の探検の記録です。ロプノールは現在の中国、新彊ウイグル自治区タリム盆地のタクラマカン砂漠東端にあった塩湖で、「動く湖」「幻の湖」とも言われ、その位置形状が絶えず変動していることがヘディンにより発見されました。彼の調査によると、この湖は、注ぎ込む川の流路の変更により、1600年を周期として、南北へ移動しているということです。

そして、そのほとりには、かつて楼蘭の都が栄えていました。

先日、久しぶりに井上靖の『楼蘭』を読みました。これもやはり学生の頃読んだ記憶はあったのですが、今読むとまた違った感動がありました。『さまよえる湖』は探検家の手記として事実が忠実に描かれていますが、『楼蘭』は井上靖氏の西域への夢が小説として実現したロマンチシズムあふれる作品となっています。

『楼蘭』には、主人公は特に登場しません。しいて言えば、楼蘭、そしてその象徴であるロプノールと楼蘭人の守り神である河竜が主人公なのかもしれません。でも、それが逆に楼蘭への私の思いを高めます。漢と匈奴という二つの大国に挟まれ、翻弄されて滅びていった楼蘭の悲哀。そして、その象徴として語られる自害した美しい王妃。60ページ足らずの短編小説にもかかわらず、大河小説を読み終えたような感動を味わいました。

現在、ロプノールがあったとされる場所はただ流砂があるばかりで、今はどこにあるかわかりません。さまよえる湖、ロプノールを想像したとき、私は夢や希望を連想しました。楼蘭の王妃がロブ湖なくして生きられなかったのと同様、人々は夢や未来への希望がなくては生きていけません。今、もし夢や希望という言葉が空しく感じられるような状況だとしても、いつかまた豊かに水を湛える湖が現れると信じることはとても素敵なことだと思いました。 

ロプノールと楼蘭への夢が熱く語られて、小説は幕を閉じます。

「ロプ湖はいま、楼蘭の故地へ帰りつつある。ヘディンが楼蘭遺跡を発見してから、今日までに既に半世紀の歳月が経過しているが、その間ずっとロブ湖の水は楼蘭の故地へ向かって移動し続けており、いまも移動し続けているのである。それが全く帰り終えてしまうには、なお何十年かの歳月を要するかも知れないが、ともかく、いま帰りつつあることだけは事実である。そして、そこに住んでいた楼蘭人の神である河竜も、また、いまそこへ帰りつつあるであろう。いや、すでに河竜は帰っているかもしれない。」
                                                          
- 井上靖 『楼蘭』より
   
     『さまよえる湖』 スウェン・ヘディン 著 (白水社)
     『楼蘭』 井上 靖 著 (新潮社)