1884年(明治17年)、ドイツに衛生学を学ぶため渡った森鴎外は、ベルリンを舞台に傑作「舞姫」を書き上げました。当時のベルリンはフランスの華やかな文化の香りする活気ある町でした。もちろん西も東もなく、ベルリンの象徴であるブランデンブルグ門の向こうの森の中にはヴィム・ベンダース監督の名作『ベルリン天使の詩』で一躍有名になった黄金の女神像が見える風景が目に浮かぶようです。

1945年5月8日、第二次世界大戦に敗戦したドイツの首都ベルリンは、東側をソ連、西側をイギリス、南側をアメリカ、そして北側をフランスの4ヵ国の支配下となり、これがその後のベルリンの悲劇の始まりとなりました。米英仏の占領地域は1946年に統合されましたが、ソ連の占領地域との統合の話し合いは決裂し、1948年、ソ連は西ベルリンを封鎖することとなりました。「冷戦」の始まりです。 ドイツは、その後「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」と「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」に分割されることとなりましたが、その2国間の経済格差ゆえ、東側から西側への脱出者が続出したため、東ドイツは1961年8月13日の午前零時、全ての西側への道路を鉄条網と警察らで封鎖しました。そして、「ベルリンの壁」が築かれることになりました。その後、ゴルバチョフにより東西緩和が実現し、1989年11月9日に民衆の手によって崩壊されるまで、壁は人々の前に冷たく立ちはだかることとなりました。

私が始めてベルリンを訪れたのは1988年2月、壁が崩壊する1年半程前のことでした。非常に寒く、雪がしんしんと降っていたこともあり、とても物寂しくうらびれた町という印象を受けました。当時、東ベルリンに行くにはビザが必要でしたが、バスを降りなければ東側に行くことが許されていたので、バスに乗って東ベルリンを一周することにしました。「出国」時、チェックポイント・チャーリーという検問所を通るのですが、東ベルリンの警察官が二人、バスに乗りこんできて笑みも浮かべずに乗客一人一人をゆっくりとチェックします。乗客の間には何とも言えない緊張感が走りました。東ベルリンは西ベルリンとは全く違い、思い描いた通りの共産圏でした。雪が舞う中を、何を求めてか人々の行列ができています。走っている車は全て同じような地味なデザインの車(「トラバント」)で、当然ですがベンツやBMWは一台も走っていません。ただひとつ、印象に残っていたのは、服装がとても「派手」だったことです。黄色やオレンジ色の蛍光色の色鮮やかなジャケットを着ており、モノトーンな街並みにとても不似合いな感じでした。

2002年に再度訪れたベルリンは、全く別の都市となっていました。恐らく、ヨーロッパで最もダイナミックに変貌している都市なのではないでしょうか。写真のブランデンブルグ門も残念ながら改装工事中でしたが、ここ数年ベルリン市内では毎日4,000台のクレーン車が作動していると言われているほどの建設ラッシュです。その結果、物寂しい町から活気ある華やかな町へと生まれ変わりつつありました。荒地だったポツダム広場付近はゲルムート・ヤーンという建築家によって造られたガラスの天井が明るいソニーセンター、ショップやシアター、洒落たデザインのドイツ系企業や銀行の本社ビルが林立しており、もうそこに東ベルリンの名残はありませんでした。
私は、ぼんやりとした功名心と、自己抑制に慣れた勉強力とを持って、たちまちこのヨーロッパの新大都会のまっただ中に立ったのだ。なんという美しい輝きだ、わが目を射ようとするものは。なんという鮮やかな色彩だ、わが心を迷わそうとするものは。「菩提樹の下」と翻訳するときには、奥深くもの静かな場所であろうと思われるが、この大通りがまっすぐに続くウンテル・デン・リンデンに来て、両側にある石畳の歩道を行く何組もの男女を見よ。胸を張りすらりと高い肩の将校が、 ―まだヴィルヘルム一世が、街に臨んだ王宮の窓にもたれて外を眺めていらっしゃった頃だったので― さまざまな色で飾り立てた礼装を身に着けている姿や、顔のよい乙女がパリふうの身なりをしている容姿など、あれもこれも目を驚かさないものはなく、車道のアスファルトの上を音も立てずに走るいろいろな馬車、雲にそびえる高い建物が少しとぎれた所には、晴れた空に夕だちの音を聞かせてみなぎり落ちる噴水の水、遠く望むとブランデンブルク門を隔てて緑樹が枝をさし交わしている中から、中空に浮かび出ている凱旋塔の女神の像、これらたくさんの四季折々の風物が、きわめて近い所に集まっているので、初めてここに来た者が、見物するのに時間が足りないというのももっともなことである。  
                                            
- 森鴎外 「舞姫」現代語訳より
1988年、ブランデンブルグ門、西ベルリンより
2002年、ブランデンブルグ門、同地点より
ベルリン、1988年
ベルリン、2002年
ポツダム、2002年
ブランデンブルグ門とベルリンの壁。
壁の前には生々しい看板が立っていました。
ベルリンの壁。
落書きで埋め尽くされていました。
チェックポイント・チャーリー。
東ベルリンに行くためにはここでパスポートチェックが行われます。
ベルリン大聖堂
旧東ベルリンにあり、バスから撮ったものです。雪に煙って幻想的な雰囲気。
カイザー・ヴィルヘルム教会。
第二次大戦時に破壊された姿そのままに今も残っています。
夜のカイザー・ヴィルヘルム教会。
1871年ヴィルヘルム一世のドイツ統一を記念して建立。
雪のティアガルデン。
人気が全くありませんでした。
ブランデンブルグ門。
残念ながら改装工事中のため、このような姿でした。。15年前には全く人気がなかったのに、今は交通量も多くにぎわっていました。
戦勝記念塔の女神ビクトリア像。
1871年の普仏戦争の勝利を記念して建てられた塔。『ベルリン天使の詩』で一躍有名に。
6月17日通り。
ブランデンブルグ門と女神像を結ぶ大通り。
ベルリン大聖堂。
地下にはフリードリヒ一世が眠っています。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会。
1943年の戦火で半壊した姿を、戦争の悲惨さを後世に伝えるためあえて修復せずに残してあります。
テレビ塔。
旧東ベルリンにあり、東独の政治的デモンストレーションの一環として1969年に建てられました。
ソニーセンター
2000年6月に完成したポツダム広場に立つ近未来的なデザインの総合施設。
ティアガルテンの散歩道。
芽吹き始めた若葉が美しく、穏やかな川の流れを聞きながら歩いていると、とても豊かな気分になります。
クマ。
市の紋章としても使われるベーアはベルリンの象徴。沢山のペイントされたクマに出会えます。
クマ。
ペルガモン博物館。
まだ東ベルリンが存在した頃、唯一ビザがなくても見学することができた博物館です。
ゼウスの大祭壇(ベルガマの大祭壇)。
古代ギリシアのペルガモンで発掘されたものが再建されています。
イシュタール門。
古代バビロニアのイシュタール門が見事に再現されています。必見。
ソニースタイル・ショップ。
ポツダム広場のソニーセンター内にありました。
サンスーシー宮殿。
ブランデンブルグ州の州都ポツダムはベルリンから30分程です。サンスーシーとは、フランス語で「無憂宮」"free of care"という意味で、王の若き日の夢を実現させたものです。
庭園から眺めるサンスーシー宮殿。
夏には茂るぶどうの木が階段の両側に植えられています。
サンスーシーの庭園。
18世紀フランスのロココ式庭園です。フリードリヒ2世の夏の宮殿として建てられたロココ様式の優雅な宮殿です。
サンスーシーの裏門。
酸性雨が原因か、柱は黒ずんでしまっていました。ここが、経済的に余裕の無かった旧東ドイツであったことを思い出しました。
6月17日通り。
現在は絶えずにぎやかな通りですが、壁があった当時は車は一台も走っていませんでした。